

Q:当社は全国に支店を有しているため、従業員に対して一定の時期に転勤を命じています。従業員に転勤を命じたところ、従業員が当該転勤命令を拒否してきました。そのようなことは許されるのでしょうか。
A:会社と従業員の間には雇用関係がありますが、無制限に使用者に指揮命令権があるわけではありません。そこで、従業員に対して有効な転勤命令を出すためには、労働契約において、転勤を命じる権限を会社に与える旨が規定されており、かつ、転勤命令権の行使が企業における権利濫用に該当しないことを要します。逆にいえば、従業員は、自らが締結した労働契約において、従業員の勤務場所が特定されており変更に関する規定がない場合や、会社による転勤命令権の行使が権利濫用に該当するなどの場合に限り、転勤命令を拒否することができることになります。
1. 転勤命令権
転勤は日本独自の文化であり、様々な勤務場所での就業を経験させることで能力の成長を企図するものです。また、企業において、従業員の配置の調整などの人事管理としての機能も持っていると考えられます。
そうすると、転勤に関する命令は会社としては重要な指揮監督権限の一つに位置づけられます。
他方で、従業員の立場からすれば、転勤は確かに多くの業務を経験する機会になる一方で、生活基盤の変更等の負担も大きなものになるといえます。雇用の際に労働条件についての取り決めを行うことが一般的であると考えられますが、勤務場所を特定して(転勤がないことを前提に)採用が行われた場合に、当該従業員が転勤命令に応じなければならないとすると、不意打ち的に従業員に不利益を貸すことになりかねません。
このような、会社と従業員の利益の調整の観点から、使用者が従業員に対して転勤命令を出すためには、就業規則等に転勤や配置転換を行うことができるなどと定めておくなどして、使用者の転勤命令権を契約上の権利として定めておくことが必要であると考えられています。就業規則等の定めはあくまで包括的な規定ですので、仮に就業規則等における定めがない場合であっても、従業員の個別の同意を取得できる場合であれば、転勤命令を発することは可能です。

2. 権利濫用について
上記の通り、就業規則等の定めや個別の同意がある場合には、転勤命令を発することができます。しかし、どのような状況下でも転勤命令を発することができるかといえばそういうわけでもありません。その例外的な状況の一つが権利濫用による転勤命令の制限です。
まず、一つ事例を紹介します。
【最判昭和61年7月14日(東亜ペイント事件)】
最高裁は、「転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもないところ、当該転勤命令につき①業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、②当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは③労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用となるものではない」(①〜③は筆者による)と判示しました。
すなわち、最高裁は同判例において、①転勤命令について業務上必要がない場合、②必要があっても転勤命令が不当な理由に基づいている場合、③労働者に著しい不利益を課すことになる場合には転勤命令を出すことは認められないと判断したことになります。

3. 権利濫用に該当する具体的なケース
上記の通り、転勤命令を出すことが権利濫用に該当すると転勤命令は出せないと言うことになります。なお、①の業務の必要性の有無については、比較的緩やかに判断されるとされており、②不当な動機によるか否かは会社の方が把握しています。そのため、問題になるのは、当該転勤命令が従業員に対して「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる」ものであるかです。「甘受すべき程度」や「著しく超える」など抽象的な文言が用いられており、判断が容易でありません。そのため、過去の事例における具体例を参考に、どのような状況においてかかる条件に該当するのかを傾向として認識しておく必要があります。
例えば、以下のような場合には、転勤命令を発することが転勤命令権の濫用であると判断されています。
- 【大阪高裁平成18年4月14日】
事例―現在高齢かつ徘徊癖のある母親と同居している従業員に、遠隔地への転勤を命じた事例 - 【東京地裁平成14年12月27日】
事例―子に疾患があるため育児負担が特段に重いと評価できる従業員に、遠隔地への転勤を命じた事例
これらの事例に共通するのは、同居の親族などに育児や介護の必要があるなどの事情があることであり、このような事情がある場合に、現在の住所(勤務地)から遠く離れた場所に転勤をさせることは転勤命令権の濫用と評価される可能性があることになります。
また、同居の親族に関係しない場合として、以下の事例が挙げられます。
- 【京都地裁平成12年4月18日】
事例―メニエール病(めまいや難聴等を繰り返す疾患)に罹患している従業員に対して、通勤時間が1時間40分以上となる場所への転勤を命じた事例
この事例においても転勤命令権の濫用と判断されています。従業員本人が重大な疾患に罹患している場合、病気の程度・症状等に配慮した判断が求められます。
それに対して、従業員の配偶者の勤務地などに関連して、従業員が単身赴任をせざるを得ないような遠隔地への転勤命令は、金銭的な手当ての支給を行うなど従業員の不利益緩和措置が講じられているなどの事情に鑑み、転勤命令権の濫用には該当しないと判断されています(東京高裁平成8年5月29日)。この事例から、従業員に不利益が生じるからといって必ず転勤命令権の濫用に該当するということにはならず、その不利益を緩和する措置が講じられているかも重要な要素になるといえます。
これらのことから、従業員の状況に配慮した判断がなされているか、また、従業員に生じる不利益が緩和されるような措置を会社側が講じているか(講じることが可能か)についても十分に検討することが必要であると考えられます。
4. 転勤命令が権利濫用とされた場合
転勤命令の行使が権利濫用に該当する場合、従業員は当該転勤命令に従う必要はありません。そのため、当該転勤命令に背いたことを理由として減給や解雇などの処分を受ける理由はないことになります。
つまり、会社側からすれば、そのような減給や解雇などの不利益処分を従業員に対して行った場合、従業員から賃金支払請求訴訟や地位確認請求訴訟を提起される可能性があることになります。また、理由のない上記のような処分は法律違反ともなり得ます。その場合、会社は重大な損害やレピュテーションリスクを抱えることになりますので、処分を行う前に、上記のような検証を行うことで転勤命令の有効性を十分に検討しなければなりません。
また、検討の結果、転勤命令権の行使が権利濫用とされる可能性があるのであれば、転勤命令を取り消すことも含めた検討を行う必要があるでしょう。