

芸能人の事務所移籍や独立をめぐっては何かとトラブルが生じがちです。先日手越祐也さんのジャニーズ事務所退所(専属マネジメント契約の解除)が発表され、手越さん本人の会見では「円満退所」と語られましたが、実際にはトラブルが生じているという報道も見られます。
同じくジャニーズ事務所に所属していたSMAPの解散が一大騒動となったことはまだ記憶に新しいところです。2019年7月には、退所済み元メンバー3人の出演に関してテレビ局に圧力をかけた疑いで公正取引委員会がジャニーズ事務所を調査し、独占禁止法につながる恐れのある行為が見られたとして「注意」を与えました。
2018年以降、公正取引委員会では芸能人を含む広義のフリーランスと企業の間の取引に独占禁止法を適用する体制づくりを進めており、上記の対応は決して一過性のものではありません。そこで今回は、芸能人の専属契約や移籍をめぐるトラブルと独占禁止法の関係を整理してみたいと思います。
公正取引委員会が問題視する芸能界の取引慣行
公正取引委員会は芸能事務所が芸能人に対して行っているとされる取引慣行のなかから独占禁止法に抵触する行為を抽出し、「芸能分野において独占禁止法上問題となり得る行為の想定例」として公表しています(※)。ここではまずそれを紹介します。重要な論点については後ほど詳しく解説します。
※)公正取引委員会「⼈材分野における公正取引委員会の取組」
https://www.jftc.go.jp/houdou/kouenkai/190925kondan_file/siryou2.pdf
芸能⼈の移籍・独⽴に関するもの
■移籍・独立を諦めさせる行為
契約終了後の芸能活動を過度に制限する内容の条項に同意させたり、活動を妨害する意図を示唆したりすること
→優越的地位の濫⽤などに該当しうる
■契約更新に関する一方的な取り扱い
芸能⼈が契約更新を拒否した際にも事務所の一存で契約を更新できる旨の条項を契約に盛り込み、実際に行使すること
→優越的地位の濫⽤などに該当しうる
■出演先・移籍先への圧力
出演先(テレビ局など)や移籍先に圧⼒を掛けて芸能活動を妨害すること
→取引妨害、取引拒絶などに該当しうる
芸能⼈の待遇に関するもの
■取引対価の一方的な設定
芸能⼈と⼗分な協議を行わないまま⼀⽅的に著しく低い報酬での取引を要請すること
→優越的地位の濫⽤に該当しうる
■芸能活動に伴う権利の扱い
芸能⼈に属する各種権利(氏名権・肖像権、パブリシティ権、知的財産権など)を事務所に譲渡・帰属させているにもかかわらず、その対価を⽀払わないこと
→優越的地位の濫⽤に該当しうる
競争政策上望ましくないもの
■契約方法
契約などを書⾯によらず⼝頭で行うこと
→直ちに独占禁⽌法上問題とされるわけではないものの、優越的地位の濫⽤などの不当行為につながりやすい
公正取引委員会が芸能トラブルに目を向けた背景

従来、独占禁止法の執行は主に法人間の問題を対象にしており、個人事業主や労働者に関する問題はほとんど取り上げられてきませんでした。公正取引委員会はこの方針を転換して2018年に「人材と競争政策に関する検討会」を設置し、広義のフリーランス(「個人として働く者」)と発注者(芸能事務所など)の取引をめぐる問題への取り組みを本格化しました。
検討会の報告書(※)をもとに、公正取引委員会のこうした動きの背景を簡単に見ておきましょう。
※公正取引委員会「人材と競争政策に関する検討会 報告書」
https://www.jftc.go.jp/cprc/conference/index_files/180215jinzai01.pdf
働き方の多様化と個人として働く人材の増加
働き方が多様化するなか、請負・委任契約の形で個人として企業と取引をする人材の割合が増えていますが、社会全体がそうした「個人として働く者」の増加に対応し切れていません。人材の流動化は今後ますます進展するものと見られるため、個人として働く人材の市場に注目し、人材獲得競争が自由で公正なものとなるよう促していく必要があると公正取引委員会は捉えています。
個人として働くという労働形態が一般化したことにより、芸能人という働き方もその一部をなすものとして公正取引委員会の視野に捉えられることになったというわけです。
労働法規との棲み分けの変化
企業に雇用されて働く労働者は独占禁止法が対象とする「事業者」には含まれないとされ、企業と労働者の間の問題は労働基準法を初めとした労働法規によって規制するのが原則となっています。
上記「検討会」でも典型的な企業労働者は独占禁止法による検討の対象外とされていますが、近年では労働者と個人として働く者との間の線引きが困難な事例が増えており、そうした例に対しては労働法規と並んで独占禁止法の適用が検討される必要があるとされています。
なお、労働者に該当するかどうかは契約形態ではなく実質的な労働状態で判断されます。少なくない芸能人が実態として労働者に該当するような状態で仕事をしているという報告・報道もあり、芸能人に近いところでは新国立劇場の合唱団員を労働者と認定した判例があります。
公正取引委員会が独占禁止法審査でチェックするポイント

公正取引委員会が今後芸能分野への取り組みを強化していくことは間違いないところです。業界団体の日本音楽事業者協会では公正取引委員会の助言をもとに芸能人専属契約の統一様式を更新(※)していますが、個々の芸能事務所もさまざまな対応が必要になってくると思われます。
※)日本音楽事業者協会「専属芸術家統一契約書改訂のお知らせ」
https://www.jame.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/12/20191203_jame_info.pdf
以下では、「検討会」の報告書をもとにして公正取引委員会が独占禁止法審査で重視するポイントを整理しておきます。
優越的地位にあるかどうか
独占禁止法では優越的地位にある事業者がその地位を濫用して自由公正な競争を阻害することがとくに問題視されます。個人として働く者に対する企業の優越的地位を判定する際には、次のような事情の有無や程度が考慮されます。
- 個人・企業間の情報収集力・交渉力の格差により、個人が取引先を比較検討したり変更したりすることが困難な状態にある
- 発注企業側の関係者の間で個人に関するネガティブな評判を広めることが容易で、それにより個人の取引が支障を来しやすい
- 個人が同時に取引できる発注者が限られているため、企業への依存度が高く、取引先変更の可能性が低い
- 企業側が自社以外の企業と取引することを制限したり、一方的な都合で契約を更新したりする権限を有し、個人の選択の自由を阻害している
これを見ると、芸能事務所が芸能人に対して優越的地位にあると認定される可能性は非常に高いと予想できます。そしてそうなれば、初めに紹介した「想定例」に該当するような行為が独占禁止法違反とされる恐れが高くなります。
競争手段は公正か
契約や取引の場面で、仕事の条件や義務(競業制限や秘密保持など)の内容を十分に開示しなかったり、実際と異なる(優良さを誤認させるような)内容を提示したりすることは、個人の選択の自由を阻害し、競合企業の人材獲得機会を不当に減じることにつながるため、不公正な競争手段であると見なされます。
芸能人の場合、仕事・出演先の選択、報酬や権利の処遇、移籍・独立の条件などについて適正な開示をしていないとなれば、不公正さが問われるでしょう。
自由を制限する目的や手段に必要性・合理性があるか
芸能事業では人材を育成したり知名度を向上させたりするために大きな投資が必要となるのが一般的です。したがって、投資費用の回収という目的のために移籍・独立の自由をある程度制限せざるを得ないという指摘があります。投資費用を回収して利潤を上げるということがインセンティブとなり、芸能サービスの向上につながるというメリットも考えられます。
また、パブリシティ権などの各種権利も事務所が一括管理することで迅速・適切な活用が可能になるということもあります。
こうした点は一般消費者の利益につながり、事業者間の競争を促進する側面があるため、公正取引委員会も考慮に入れるとしています。しかし、そうした合理的な目的を逸脱したり、不必要な手段で制限を加えたりした場合には、独占禁止法上問題となります。阻害される利益(個人の選択の自由、人材市場の競争の自由)と事業上の合理性・必要性のバランスが検討されるのです。
一般的な慣行となっているとされる移籍制限や出演妨害については、投資費用を回収するのにそれ以外の手段が存在しないとは考えにくいという見解を公正取引委員会は述べており、厳しい見方がとられると思われます。日本音楽事業者協会は投資額の回収について「双方合意のもと金銭により精算する方法」を明文化していますが、これについても投資額と移籍金の算定の合理性・相当性が問われることになります。