

1 契約の成立
日本の法律では、原則として契約の成立には書面を必要としません。そのため、当事者間で契約書が交わされていなくとも、契約の成立が認められる場合があります。
当事者間で契約が成立している場合、相手方との間でトラブルになった場合は、契約に従って損害賠償請求や契約の解除をすることができます。
では、契約が成立していない段階で、契約の締結に向けて準備を進めていた相手方との間でトラブルが発生した場合、相手方に対してどのような手段をとれるのでしょうか。
以下のような事例をもとにご説明します。
2 【事例】商品の大量発注
創業間もないA社は、野菜ジュースに特化した飲料メーカーです。この度、A社の社長甲は、かつてから親交のあった大手スーパーB社の営業部長乙から、A社の野菜ジュースをB社の全店舗で扱いたいが、これは可能かと提案を受けました。
A社にとっては、この上ない話でした。B社は、全国にスーパーを展開しているため、この話が実現すれば大儲けのチャンスでした。
A社社長の甲は、一刻も早くこの話を実現するため、A社の野菜ジュースの製造を急ピッチで進めることにしました。1000万円を投資して、野菜ジュースの原料となる人参、トマト、ほうれんそう等を仕入れ、100万本の野菜ジュースを完成させ、B社の全国の店舗で販売する準備を整えました。
A社社長の甲は、野菜ジュースが完成した旨B社社長の乙に伝えると、なんと乙は、「あの話はなかったことにしてくれ。契約が成立しているわけではなく、社内の決裁も通っていない。」と言って、その場を立ち去ってしまいました。
甲としては、確かに契約書は結んでいないものの、乙との長年の信頼関係があるので、必ず契約が成立するものだと考えていたため、これはまさに寝耳に水でした。A社の商品は、保存料、着色料を使用していないことがウリで、長期間の保存に耐えられません。
結局、B社のスーパーでの販売が叶わなかったため、製造した100万本の野菜ジュースのうち、95万本が売れ残って消費期限を過ぎてしまい、950万円の損失が発生しました。
A社とB社は契約関係にないので、A社は契約関係に基づく損害賠償を請求することはできません。A社として、何か法的にとりうる手段はあるでしょうか。

3 報酬請求権(商法512条)
とりうる手段としてまず考えられるのは、商法上の報酬請求です。
商法512条は「商人がその営業の範囲内において他人のために行為をしたときは、相当な報酬を請求することができる。」と規定しているため、上記の事例のA社は救済される余地があります。
商法512条によって、申し込みと承諾という契約成立の要件が充足していない場合であっても、相当な報酬を請求しうることになっています。
では、どのような場合に「その営業の範囲内において他人のために行為をしたとき」といえるでしょうか。
この点について、判例は以下のように述べています。
「商人の営業の範囲内の行為の反射的利益が第三者に及ぶというだけでは足りず、客観的にみて第三者のためにする意思の認められることが要件とされるというべきである。」
4 契約締結上の過失
また、A社は「契約締結上の過失」という法理論によっても救済される余地があります。
「契約締結上の過失」とは、契約が成立していない段階で、当事者の一方に帰責すべき原因があったために他方が不測の損害を被った場合に、責めを負うべき当事者は相手方に対して損害を賠償すべきとする理論をいいます。
「契約締結上の過失」によれば、例えば上記の事例で、①B社がA社の商品を販売するつもりがないにもかかわらず、客観的に見て販売する意思が確定的であるような態度をとっていたような場合や、②当初はB社がA社の商品を販売するつもりであったが、後に、販売する見込みがなくなったにもかかわらずこれを告げなかったような場合に、A社は、B社が販売してくれると信頼して支払った費用などを損害として請求しうることになります。
では、どのような場合に相手方に帰責すべき原因があるといえるでしょうか。
この点について判例は、マンションの売却予定者が買受希望者(歯科クリニック)の希望によって設計変更・施行をしたのに、買受希望者が資金繰りを理由に買取りを取りやめた場合、買受希望者に帰責すべき原因があり、契約準備段階における信義則上の注意義務違反を理由として売却予定者に対して損害賠償義務を負うとしました。
以上のように、契約の準備段階の一方当事者を保護するための法制、法理論は存在しますが、そのハードルは決して低いものではありません。交渉の進展の都度、念書等を作成しつつ契約の準備をすすめることで、トラブルの防止につながるものと思います。